地下足袋山中考 NO17

<赤水渓谷の今昔B 湯治場古道復活プロジェクト>

森吉山県立自然公園が誕生(1968.S43)した当初の公園計画は、赤水渓谷が玉川温泉への湯治場古道であったことや一帯が十和田八幡平国立公園と隣接していたこともあり、湯ノ岱から立又渓谷に至る25`を車道計画に定めていた▲当時の路網整備は林道から県道や観光(有料)道路へという価値観が全盛時代であったが、90年代に入ると国民の自然保護の声が高まり、森林法やリゾート法が見直され行政は開発から保護に大きく舵を切った▲県は1995(H7)年11月に車道計画を廃止し、公園計画の大幅な見直しを県自然環境保護審議会に諮問した。同車道計画は、1994年に14年ぶりに繁殖が確認された国の天然記念物クマゲラの保護などを目的に拡大された森吉山国指定鳥獣保護区特別保護地区に約3`接していたため、県自然保護課は同公園中心部を徒歩での自然観察地域とする方針から、車道はそぐわないと判断。中心部の12`区間を取りやめ尾根筋の約5`区間は歩道計画に変更し、廃止車道路線と並行する延長約7`の既存の歩道(ノロ川赤水峠線)は自然探勝路として位置付けた▲また、旧ノロ川牧場を中心とする奥森吉地区は、秋田県がリゾート法に基づき「北緯40度シーズナルリゾートあきた」構想(1993)の重点整備地区の一つに掲げていた。県は同構想をベースに、1998年に日本ジャンボリーで使われるノロ川牧場をキャンプ場など青少年の野外活動拠点として整備する方針を明らかにし、登山道ヒバクラ岳線、野営場、休憩所、トイレ、園地、宿舎整備を示した▲一連の計画は日本ジャンボリー開催(1998)を契機に青少年野外活動基地の名目で整備を完了したが、奥森吉地区と玉川地区と結ぶ回廊型自然探勝路(湯治場古道)の整備が残った▲当協会は設立(2005)以来、湯治場古道の整備復活(以下プロジェクト)を県に要望してきたが、公園計画の承認から20年経過した今も熟時に至っていない。県自然保護課サイドは、整備費の確保、維持管理費の増、必要度を掲げるが、新規整備には手をかけたくない意向が透けて見える▲山岳観光を巡るニーズはピークハンターに加え、寄り長いロングトレイル(長距離自然歩道)を楽しむ流れが生まれている。コース上には生活圏も入込む地元文化の出合、道標や避難小屋の完備、グレードの高い宿泊施設も随所に求められる▲奥森吉と玉川温泉郷の二つの閉鎖された玄関を、湯治場古道復活整備というトレッキングコースで連結し、さらに焼山〜八幡平〜岩手山(葛根田・網張・雫石)につながる50qロングトレイルの出現は、その存在と魅力を全国と世界に伝播する空間として、現代人の新たな価値観を呼び起こす未来志向の観光資源として、奥森吉・奥阿仁はその起点・終点になるであろう。 

<プロジェクトの概要>奥森吉〜玉川温泉郷の一帯は、200万年前に噴出した大火砕流の台地を基盤とする山域にブナ林や渓谷渓流が発達し、その中心域を形成する赤水渓谷一帯は、「天国の散歩道」と形容される桃源郷である▲渓谷の沢筋と尾根筋は、60年程前までは近在近郷の住民が玉川温泉に通った湯治場街道であったが、生活様式の変化や交通アクセスの整備に伴い、かつての古道の往来は途絶えたが、その痕跡はブナの肌にナタ傷として残っている▲本プロジェクトは、この湯治場街道であった沢筋と尾根筋の古道を整備し、時代が求めるトレッキングコースとして復活させ、その歴史的自然の探訪や秘境散策プランを提供する広域観光資源として活用する仕組みを関係団体と協働で構築しようとするものである。

2010.10.23